2012年7月27日金曜日

温故知新

困った技術者?の話を2件。

1件目は例の部長様。
理想や目標の高い事は良いのですが、そこへ向かって作業!となると、御自分では手を動かせません。いえ、昔なりには動かされるのですが、CADはできませんし、数値計算はもちろんムリ、3次元なんてとても、という状態。しかし、解析結果や可視化の結果はよく目にされているようで、「自分は”時間がなくて”無理だが、自分より若い世代なら誰でもすぐにできる」とでも思われたのでしょう。
3次元データ入力結果の引き継ぎをしたのが今日で4人目。説明時間は30分程度ですが、4回同じ説明を繰り返しています。部長様から次々と 人材が送られてくるのですが、説明の結果、皆、違う選択肢を選ばれ、部長様の思うように作業が進んでいません。世の中の出来るレベルと、現実論(時間、人材)で出来るレベル、着地点は違うのですが、なかなか妥協されないようです。

2件目。
 こちらの方もCADはできませんし、計算ツールもダメ。でも、アカデミックな事例や3次元は好き。自分で生産できないし、今のツールの使い方、選定法も分からないので、他人にあいまいな指示だけします。そのため、周りから避けられているのですが、それに気付かれていない点は同情にも値しません。
今回、私の担当している業務に非常に興味があるようで、向こうから近づいてこられました。やんわりと断ったのですが、気付かれないようです。仕方ないので、その方に任せる内容を、同年代の方(こちらの方はキレキレ)に相談しました。結論としては、見張員ぐらいしかないという寂しいもの。

 この2件から感じた事は、自分の立ち位置を正しく知り、今も、これからも、手を動かし続けないといけない!ということでした。ツールを使える事自体が偉いと思えませんし、時代遅れの技術者?が不要とも思いません。本質的な経験と、それに基づく適度な自信は重要です。ただ、それを表現する手段は、取り巻く環境に応じたものでないといけないということです。環境は常に変わりますので、手を動かし続けないといけないのでしょう。
古いだけでもダメ、新しいだけでもダメ、両方必要だということです。
温故知新にも通じます。




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