2019年5月22日水曜日

橋杭岩

和歌山県串本町の橋杭岩です。

最南端の潮岬の近く、串本町にある差別浸食による地形です。

岩脈が泥岩を貫いています。
四万十帯にしては亀裂が少ない泥岩だなあと感じていたのですが、後で調べてみると新第三紀の熊野層群でした。スレーキングしやすく柔らかそうな見た目で、しっくりきます(場所や成因には違和感がありますが)。

岩脈のふち(根本)には、泥岩が見えます。差別浸食に加え、泥岩を取り込んだ岩脈縁辺部が、まだ残っているのでしょうね。

岩脈は白っぽいものと褐色の物があります。風化の差でしょうか?近づかなかったので詳細はわかりませんが、道の駅内の説明では流紋岩とありました。地質図や説明書ではデイサイトになっています。https://www.gsj.jp/data/50KGM/PDF/GSJ_MAP_G050_11109_1965_D.pdf

陸側に転がっている石では花崗斑岩と思っていました。

この転がっている多数の巨石、津波で流された「津波石」と呼ばれているようです。周りは泥岩なので、岩脈の位置から流されたと考えられます。地元のおじいさんも「子供のころから橋杭岩の形は変わっていない」 とおっしゃっていたので、自然現象であれば海溝型地震+津波しか選択肢がないのかもしれません。
https://www.gsj.jp/data/gcn/gsj_cn_vol2.no7_201-204.pdf
これらは直径1mを下回る小さな漂礫を除き,台風時の高潮などではほとんど移動していない.また聞き取り調査等から1946年昭和南海地 震時の津波でも大きな変化は確認されていないため,ほとんどの漂礫は昭和の津波よりも大きな規模の津波によって運ばれたと考えている.いくつかの漂礫にはヤッコカンザシ等の生物遺骸が固着しており,その14C年代から漂礫の 移動時期を推定したところ,12~14世紀と17~18世紀の2つの時期であることが明らかになった(宍倉ほか,2011).両者の間隔は400~600年で,特に後者は1707 年宝永地震に対比できる.すなわち漂礫は宝永地震クラスの津波時に移動し,それは400~600年間隔である可能性が指摘できる.
想像だけでなく、UAV+SfM でモデル作成後、SPH+DEM 等で検証してみたいですね。引き波はそれほど影響ないのでしょうか?本当に津波だけで再現できるのでしょうか?
潮岬にジオパークセンターを建設中でした。7月下旬にオープン予定とのこと。何らかの検証結果も入れてほしいところです。

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20190523追記
和歌山県の動画では、津波で石の転がるべき方向が異なるように見えます。地震で落ちた石が津波で陸側に流されたと考えるべきでしょうか。ますます、検証が見たくなりました。
https://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/011400/bousai/shinsui/trough/nk_cg.html


20190524追記
淡路島の野島断層保存館へ行きました。
そこで、和歌山県作成の津波再現CGが流れていました。よく見ると、橋杭岩。
探してみると、コレでした。
http://www.wakayama-u.ac.jp/disaster/achievement/document/tsunami_cg.html#3d
串本へ真東からくる津波。東海地震を想定でしょうか?このシミュ結果なら、津波で石の転がる方向はあっていますね。

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